賢く使い分けよう!標治と本治の違いから手当てを使い分けよう

東洋医学ではどのように症状に対処するかを区別して標治と本治との2つに分けて考える伝統があります。このように区別することで治療全体の品質を管理しようという考え方になっています。

それぞれを簡単に説明すると、標治とは表面上に現れている症状をそのまま抑えようとする治療のことです。それに対して本治は、症状を追うのではなく、原因の部分にアプローチしようとすることです。

標治だけでは、頭が痛いから痛み止めを服用する行為とあまり変わりありません。症状が消えても原因は解決していませんから、時間をおいて再び同じ症状か、より酷い症状に悩まされることになるでしょう。

それではと、本治に集中すると今度は症状が改善されるまでに時間が酷くかかってしまいかねません。つまりしばらく効き目を感じないのに、治療だけを継続しなければならないのです。

これもたまったものではありませんよね。専門家に尋ねると、どちらかではなく、どちらも手を入れるとのこと。それを聞いて安心した覚えがあります。

専門知識がなくても、東洋医学に沿った手当の方法をこのブログで紹介していますが、その方法は標治と本治の両方に関わる手法になっています。残念ながら、この方法を漢方医学では案内できない約束になっています。

東洋医学の側面としてあくまでも専門家の治療として成立し研究されてきた歴史があり、特に現代の法律が門外秘であることを要求している事情があります。

つまり自己メンテナンスをどのようにすれば、効果的かを説明することは専門家の治療範囲外のことになります。その結果、整体師でも自分のケアができないという、なんだか変な事態もあるのです。

自己メンテナンスは治療行為ではありません。呼吸の仕方を利用しますが、呼吸自体は誰でもしているからです。手で患部に手当しますが、それは子どもでも可能な行為です。

毎日の食事管理をしますが、食事を考えるのに資格は不要です。専門知識がなくてもご飯を食べますし、消化もします。これらのことはどれも日常生活の上での技能です。だれにでも可能です。

ただし、他人に対して治療行為をしてお金を集めるような不道徳さは恥ずかしい行為だと知っておきましょう。下手をすると違法行為になりかねません。

東洋医学的に正しい自己メンテナンスと私たちが考えることには3つの技法が中心になっています。それが呼吸、運動、食事です。いままでやったことをするのではなく、いままでやってきている行為の品質を変えるのです。

まず、呼吸は深い呼吸をゆっくり、ゆったりとすることです。お腹を両手で抱えるように支えて、ゆっくりと息を出し入れします。お腹で手のひらをしっかりと感じて内臓が寄りかかるようにイメージします。このように呼吸することを息を通すと呼んだりします。

運動は走り回ることでは決してありません。呼吸に合わせて身体が動くこと、動かすことです。生まれたての赤ん坊の様子を思い出してみましょう。赤ん坊の身体は呼吸に合わせて全体が膨らんだり縮んだりしていますよね。それがここでいう運動です。

手を使って身体の各部位の運動を支援します。両手で包み込むように支えてゆっくりと手を動かします。これもできる限り小さな動きを心がけて部位の感覚が戻るのを誘います。

食事は健康のバロメータです。健康で生きる力が強いと食事が進んで排泄も滞りありません。内部に問題が生じると食欲が減退するので、休養のタイミングと考えます。

なにより自分の身体の様子を感じ取る感覚を頼りにしていますので、他人の身体の様子を感じるのが難しいように、これ以上のことは専門家に相談するのが賢明です。