分けて考えることで基礎付ける四象というフレームワークを使う

「龍」「虎」「朱雀」「玄武」ってお聞きになった記憶がありますか?最近のスピリチャルのブームが影響して、専門店なんかがこれらの文字を刻みこんだ玉などを販売したりしています。

そのようなショップではそれぞれをお守りとして販売しているようです。しかし、もともとはお守りのような意味はなく、東西南北に割り当てられたキャラクターだったのです。

陰陽にわかれた天地は三才を経て、「少陽」「老陽」「少陰」「老陽」という状態を巡るようになります。この4つを「四象」と呼んでいますが、直感的に太陽の様子に当てはめて理解したようです。

まだ太陽が十分に強くない少陽がいずれ日差しに地を焦がすほど強くなり、老陽に至ります。老陽が極まると、老陽の中に残っていた陰はまだ少ないながらも陰が大きくなり始め、小陰になります。そして陰が極まって、日差しが極めて限られる老陰に至ります。

このように物事の変化をいくつかに分けて考える営みは、人間の知性にとって本質的な意味を持っています。いわゆる分析という知性の役割りです。個人がひとりひとり勝手なやり方で分析すると協同で知恵を出し合えなくなります。

そこで、方角について四象を用いて共通理解が成り立ちました。人間はこれで場所の意味を理解しました。そもそも人間は方向で場所を理解します。最も身近なものは前後左右です。

ただ自分の前後左右が隣の人の前後左右とは違ってしまうと、コミュニケーションに問題が生じます。そこで東西南北という方向を利用します。東西南北というのは人間の方向ではありません。

人間そのものではなく人間が共通して持っている地盤に方向を決めたことになります。これで四象と東西南北の二本立てで方角を表現するようになります。

東西南北は単純に方角に対してつけた名前ですが、四象は巡りのニュアンスを色濃く残しています。そこで巡りを説明する時は四象を用いる場合が多いようです。

それぞれにキャラクターを設定している理由は、それぞれのキャラクターが四象のイメージを良く表しているからでしょう。東を受け持つ青龍は若い力のイメージです。

朱雀は熱い熱のイメージで夏を意味する南を担当しています。そして巡りが進んで、喜びの時節が訪れる白虎に担当を移動し、動きが遅い玄武は、天で頑なに位置を守る北極星の方向を指し示しています。

このようにイメージすることで、洛陽の時代の感覚をそれぞれの方向に割当て方角を確かで共通した感覚を作ったことのです。人間の知性の働き方は、時代が変わっても大して変化しないことがわかります。

そのようにいえるのも、4つに分けて物事を把握して考えようという方法は現代のビジネスでも頻繁に紹介される手法と全く同じだからです。

また、それぞれの分類にキャラクターを用意して印象的な理解を助けようとする試みも現代にそのまま通用します。各地のゆるキャラなどはその良い例でしょう。

それでは、東洋思想の考え方と西洋から入ってきた考え方とはまったく同じになっても良さそうですが、そうなっていません。それは一体どうしてでしょうか?東洋思想が時代遅れだということでしょうか。

確かに、キャラクターの名前や方角を指す用語は、古色蒼然として感じられます。青龍などと言われても、にわかにイメージすることが難しいかもしれません。

それに特に都会では太陽のある方角を意識することも少なくなって来たのかも知れませんよね。ビルの狭間を行き巡る道に太陽の方向などわからなくなってしまいます。そして道に迷うのです。

東洋思想の枠組みの中には三才の考え方が入り込んでいます。言い換えると思想の中心に人間への眼差しがあるのです。