そうだったのか!西洋医学と比べればわかる東洋医学の身体理解

誰しも健康な日々を送りたい。でも健康ってどういう状態なのかを考えた経験はあるのでしょうか。どこも悪いところがなければ、それで健康といってよいのでしょうか。

病気でなければ健康なのでしょうか。一般に病気とは日常生活を支障なく送れない状態を指します。ですから風邪を引いても日常生活に支障がなければ、登校、出社しなければなりません。このような状態は健康と呼ぶのにふさわしいでしょうか。

それとも人間ドックに入院して検査をします。それで特に目立って標準値から外れた数値がでなければ、健康という判断が許されるのでしょうか。後になって大きな腫瘍が発見されても、検査の時には見つかりませんでしたで済まされます。

このように考えていると、健康とはとても後ろ向きな考え方に思えてきます。病気によって理解しようとするからですね。実は西洋医学では健康を定義できないんです。

西洋医学は身体を多くの部品の集合として捉えます。そして部品ごとに分解して機能を理解します。結果として全ての部品が正しく機能していれば、全体を健全であると判断します。

この考え方には問題がないようですが、全ての部品が正しいかどうかという理解に必然性が約束できません。本当にすべての部品を検査できたのかを確認する方法も基準もありません。

あくまでも人間の身体を内臓などに分解して機能で理解している、枠組みに限界があります。だから身体はどこも悪くないのに、調子がいまひとつなのという事態が生じてしまいます。

それに対して東洋医学はまったく違うアプローチで健康を捉えています。結論すれば、心身ともに快適に日々を過ごせる状態を健康と表現しています。そこにはさまざまな要因が含まれてとても複雑ですね。

食べ物や精神的状態、環境も健康を考えるための要因です。解決できないストレス状態に置かれているなら、東洋医学的には不健康だと判断します。ストレスに反応して身体が作用するはずなのに、適正な反応を身体が示せない病状だと理解するわけです。

このように環境でも、人間と切り離されて存在するのではなく、人間も環境の中で期待される反応がある以上、健康な反応と不健康な反応とがあります。そして身体の反応を判断するのが東洋医学の範囲になります。

東洋古典の世界では、生命の営みを活動として理解します。生命の活動は熱を作り出して、身体中に巡らせて健康を保っていると考えます。そして活動の中心は、お腹だと説明します。

お腹の中心に熱を発生させる中心機関があります。そして熱を伝える経路を伝って全身にエネルギーが運搬されます。余分な熱は体外に放出されて身体中の環境が整えられます。

実はここ最近の医学でも研究が進んできて、生命の維持についてお腹が健康や生命維持にとって本質的な役割を担っている事実が明らかになってきました。

内分泌の問題がさまざまな疾患の原因になりますが、内分泌を司るのは脳ではなく、大半が小腸、大腸である事実が確認され、糖尿病が大腸内の菌フローラの改善によって予防できるなどといわれるようになりました。

生命が胎内に宿った後、最初に形成されるのはお腹に当たる部分になります。脳が精神活動を司っているとする西洋医学の知見は正しいかもしれませんが、生命の全てが大脳の責任であるとするのはもはや時代に遅れているといえます。

お腹が大切なのは生命活動のみではなく、精神活動にさえ大きな影響を及ぼしているという研究結果も提示されているそうです。お腹の具合が悪いと精神活動が脳内で健全に行われず、いらいらや怒りといって不都合な状況を生じます。これも東洋医学では身体の範囲になっています。