伝統中国医学の歴史は非科学的な伝説ではなく実証科学でした

 治療の現場で、マッサージ、鍼(はり)灸(きゅう)が治療になる理由を質問しても、よくわからないと結論する専門家も決して少なくありません。一番多い回答は、だって効くからというもの。

 古代中国の唐時代にまとめられた『黄帝内経』(こうていだいけい)という書物を手がかりに理論を編みあげて、こういうものであるという治療を実施しているのが現代では、ほとんどの治療の実態であるように思えます。

 『黄帝内経』は深奥であり、私たちが手にとってもよくわからない難しい内容に満ちています。しかし、原理はわからないはずがないといえるでしょう。なぜなら生きていることが原理だからです。

 生きているということが、応答するという現象で理解できれば、マッサージや鍼灸の原理が共通しているという意見に納得できるはずです。

 私たちの身体は、押されれば押し返します。弾力という力を持っています。弾力がある魚が新鮮だと感じる、あの弾力です。それは単なる反応とか、物理的な反作用ではくくれない概念です。

 外からの刺激に対して、細かにさまざまな応答が身体にあるからです。これについては最近、あれこれとアルタナティブ医療という名前で紹介される機会も出てきました。身体の応答を基本的な原理として利用しようという試みです。

 西洋が、悪くなった身体部位をなんとかして取り除こうと苦心し続けた時代の遥か昔に、中国では身体刺激に対する応答の分類を始めていたといえるでしょう。

 膝小僧を軽く叩けば、足が勝手に動きます。これは反射として知られている反応ですが、このような反射は身体に数多く備わっています。叩く刺激のみではなく、熱という刺激もあり、圧迫に対する刺激もあります。

 これらの刺激に対する身体の応答を治療に用いる技法が東洋医学の治療原理だといえます。このように実際の経験に基いて構築してきた東洋医学は経験医学であるという説明をされたりもします。

 経験から始めて、繰り返し確認し、現象を特定して体系を組み立てる考え方を実証主義と呼びますが、この考え方は科学の立場と同じです。ですから東洋医学は科学的です。

 一般的に科学の立場では、実証的に確認した現象のみに立つべきですが、そこから理論を組み立てなければなりません。現象学などと呼ぶ立場は現代科学を土台で支えている哲学のひとつです。

 同様に東洋医学も現象学のひとつとして、治療の効果事例を積み上げて理論を抽出してまとめ上げたものが、『黄帝内経』です。東洋医学も科学なのです。

 古代の東洋医学が優れていた点は西洋医学にまさるかも知れません。西洋と古代中国とでは人びとの死への取り組み方が異なっていたからです。

 西洋ではやはり死を取り除くことが中心だったようですが、古代中国ではもっと生活の中にまで死が入り込んでいたのではないでしょうか。西洋では人体に構造は人びとから隠されたのに対して、中国ではそうではなかったようです。

 一般の人が人の身体構造を観察することが可能であったろうということが推察できます。特に中国では独特の食文化を古代から保存している文化が知られているように、他のどの文化よりも人間の身体が身近だったと考えられます。このような独特な背景が詳細な人体理解を可能にしたに違いありません。

 『黄帝内経』の内容も用語の統一に問題が見つかったりする理由も同じく民衆の知見を取り入れているからでしょう。つまり、古代中国の医療技術は、さまざまな民衆の理解を総合した医療百科的な書物だったのです。